移住者インタビュー

自然と遊び、自然と仕事する日々。

COLLECTERS INTERVIEW#001

川田農園 農園長

川田 正人さん

出身地:三重県四日市市(Iターン)
移住年:2003年
職業:葉もの野菜の専業農家

1972年生まれ。三重県四日市市出身。専門学校卒業後、津市内の配線器具メーカー勤務。31歳で十和田市にて就農。妻、両親、弟と葉もの野菜生産に従事。機械製図2級、フライス盤2級、平面研削盤2級、第2種電気工事士、小型移動式クレーンなど資格多数。休日は自家栽培野菜を使って料理の腕を振るう。

温泉を利用して有機野菜を栽培

 真冬でもほんのりと暖かなビニールハウスの中には、青々と茂る葉もの野菜。川田正人さん夫妻が営む川田農園の主力は、小松菜と山東菜です。農園の土地はもともと温泉保養施設だったため、地下50センチほどのところにパイプを通し、弱アルカリ性の温泉水を循環させて冬も一定の温度を確保しています。
「食べてみますか?」
 川田さんが差し出したとりたての小松菜を一口かじると、さわやかな青菜の風味とともにかすかな塩味が感じられます。これは給水に温泉水を使っている川田農園ならではの特徴。手作りの堆肥で育てる低農薬・有機栽培の葉ものは、道の駅や大手スーパーの産直コーナーで人気です。出荷作業をしていると、常連客に声をかけられる機会もあるとか。
 「『生でも食べられる』とか『下味がついてて料理しやすい』なんてお声をいだたくことが多いです。やりがいを感じられる瞬間ですね」
 ここ数年で地元の農家カフェや、首都圏の有機野菜レストランにも出荷するようになりました。充実した日々を送る川田さんが考える移住のコツは「そこで何をしたいのかを明確にすること。僕の場合は仕事と趣味、両方が目的でしたが、どちらかでもいいんだと思います。ただし目的だけはしっかり持っていたほうがいい」

サラリーマン → 専業農家 → 満足感アップ

 川田さんの前職はエンジニア。出身地の三重県で配線器具メーカーに勤務し、機械や金型の設計を任されていました。十和田市と縁ができたのは、定年退職を迎えた父が十和田市に土地を求め、母を連れて移住したことから。休暇を使って十和田を訪れては農作業を手伝ううち、いつしか農業に興味を持つようになりました。
 そしてもう1つ強く惹きつけられたものが、北国の大自然です。学生時代ワンダーフォーゲル部に所属し、夏はウインドサーフィン、冬はスキーを楽しむ川田さんにとって、八甲田山、十和田湖を擁する十和田市はまさに最適の環境といえました。
 こうして妻とともにIターンしたのは31歳の頃。就農にあたり、ハウス4棟を自ら設計・溶接して自作しました。材料費などで1棟あたり約100万円、完成までは約半年を要したといいます。費用は移住前の貯蓄でまかないました。
 「初期投資はかかりましたが、その辺はある程度シミュレーションして貯金していました。食材など物価が安いので助かりましたね。それから十和田は太平洋側で雪が少ないので、雪下ろしなどの作業も比較的楽だと思います。機械や資材に関しては必要なものはできるだけ作る、作れなければ買う、という順番。今は種まき機を完成させたいです」
 電気工事士や機械製図、重機の運転など多数の資格を持つ川田さんは、植えつけに使う穴あけ機やリヤカーなども自作。不足や困難は知恵と工夫で乗り切ってきました。
「都会のサラリーマン時代は納期に追われプレッシャーがすごかったのが、今はのびのびと仕事ができている。なによりも、自分の裁量で時間を使える自由には代えられません」

自然と遊ぶ中で人とつながる

 Iターンと同時に就農して13年目の川田さん。農繁期の夏はほとんど休みなく収穫・種まき・草刈りなどをこなしますが、どうしてもウインドサーフィンをしたい日は早起きするなどして時間を作り、小川原湖や十和田湖、時にはサーファーが集う八戸市の浜にも足を伸ばします。また冬は作物の生育スピードが落ちるため仕事量が減り、午前中で終わることもしばしば。そんな時は移住後に始めた山岳スキーを楽しみに、八甲田山系へ出かけます。
 「上り3~4時間、下り30分。滑り下りるのはごほうびみたいなもの。上るのは苦しいと思うかもしれないけど、楽しいんです。自分の足で1歩1歩踏みしめると、山と一体になれる気がする」と、その醍醐味を語ってくれました。
 一方、農場の敷地内には小さなスキー場があり、地域の小中学生のよき遊び場。スキー場を管理・運営するPTAのメンバーと、山小屋でお酒を酌み交わすのも冬の楽しみの1つです。
 「自然と遊びたいっていう人には十和田はおすすめ。遊び場に事欠かないので、絶対後悔はしないと思う」 そう語る川田さんのライフスタイルは、仕事も趣味も自然とともにあります。

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